「コンピュータリテラシー」は、実質的に貧富の差や学歴の差を”技術の話”として言い換えているだけ になっている。何かしらの要因や障害で教育が受けられなかった人も想定して設計すること。デジタルデバイドを悪用するビジネスをしないこと。

私たちはつい、「インターネットリテラシー」「ウェブのリテラシー」という具合に、ユーザーをリテラシーの有無で分けて捉えがちですが、クーパー氏はこの「リテラシー」という言葉を安易に使うのはよくないと説いています。たしかに、「リテラシー」という言葉によって、テクノロジーに詳しくない大半のユーザーを無意識のうちに軽視してしまう恐れがあるかもしれません (自戒を込めて…)。

われわれ業界人は、「コンピュータリテラシー」ということばをずいぶん気楽に使う。コンピュータを使うには、みんなそれなりの根本的な訓練を受ける必要があると想定するわけだ。… (中略) …

(これには) 陰湿な影響がある。社会の中で、持てる者と持たざる者との間に分割線をひいてしまうのだ。 (P.65)

コンピュータリテラシーということばは、社会経済的なアパルトヘイトの言い換えになってくる。コンピュータリテラシーというのは、われわれの社会を残酷に二極化してしまうキーとなる用語なのだ。(P.67)

「コンピュータは、むずかしすぎて使えない!」を改めて読む | Accessible & Usable